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会社を辞めて旅に出た ~いつのまにか雲南定住~

会社を辞めて旅に出た ~いつのまにか雲南定住~

Pelniのフェリーに乗る

Pelniのフェリーに乗る

ドボンソロ号 ビアック島では風が強く波も高かったためソロン島へのボートを出せず、結局ゴクラクチョウを見に行くことが出来なかった。それでは、ということでニューギニア島の西端のソロンへ行くことにした。やはり飛行機の予約はすぐ取れなかったが、2週間に1度のフェリーがちょうどあったのでフェリーのチケットを買った(*1)。インドネシアは島国ということもあり、16艘のフェリーがそれぞれ別ルートを2~4週間でスケジュール運行している。ちなみに、私が乗ったドボンソロ号は、ジャカルタ(ジャワ島)~スラバヤ(ジャワ島)~ベノア(バリ島)~クパン(ティモール島)~アンボン(アンボン島)~ソロン(以下ニューギニア島)~マノクワリ~ビアック~ジャヤプラ、と運行している。ジャカルタからニューギニア島にあるジャヤプラまで1週間かかり、また同じルートを1週間かけてジャカルタに戻るのだ。さすがインドネシアは広い。

以前にフェリーに乗った経験から、早めに乗り込み自分のスペースを確保する必要がある。一応、エコノミーでもチケットに番号が打ってあり、その番号のところが自分のスペース(*2)となるが、乗ってみたら自分のスペースに他の人の荷物がどっさりということもあるのだ。そんなわけで、午後8時の出航予定のところ1時間前の午後7時に港へ行くと、既に波止場は多くの人々で溢れかえっていた。この小さな島のどこにこれだけに人がいるのだろうとと思ったが、このフェリーはジャヤプラから来ているので先に乗り込んでいた人たちもいるのだろう、だからこんなにも人が多いのだと納得。
 はたして自分のスペースがちゃんと確保できるかと不安になりつつ乗り込むとエコノミーのキャビン(船室)は既に多くの人が乗り込んでいる。なんとか私の指定スペースを確保したものの、エコノミークラスのマットレス争奪戦には早くも敗退した。しかし、こういう時のために薄い銀マット(テントの床に敷くアルミを貼った薄いマット、裏は青色)を持ってきている。コレを二つ折りにして使えば、マットなしでも何とか寝れるだろう。ソロンには翌日の夕方には着く予定だからそれまでの辛抱だ、と自分を慰める。

エコノミーキャビン内
フェリーで再会した研修生達
 とりあえずはザック等の荷物を棚の上に乗せホッと一息をついてから周囲の人達に挨拶し、どこまで行くのかとか、どこから来たのかとか簡単なコミュニケーションを図る。(こちらから聞かなくとも、好奇心旺盛なインドネシア人はそのうち向こうから話し掛けてくるだろうが・・・。)大衆の乗り物を利用するときは、周囲の人達と積極的にコミュニケーションをとり仲良くなった方が何かと良い。例えば、トイレに行くときなど一声かけて安心(多分・・・)していけるし、やっぱり長時間同じ苦労(?)をともにするわけだからお互い共感できるものもある。また気晴らし(暇つぶし)にもよい。
 周囲の人達との会話も一段落したのでちょっと船内を歩いてみることにした。そうすると別のエコノミークラスのキャビンに見覚えのあるインドネシア人の若い女性がいた。向こうでも私に気づき声をかけてきた。だが、どこで会ったのか思い出せない。そう、正直に彼女に話すとジャヤプラの同じ宿に泊まっていた研修生だということがわかった。そして彼女はその研修を終え、今、ソロンの家へ帰るところだという。そういえば彼女の周囲にも見知った顔がある。彼女達の荷物の傍に植物の苗とがあったので、それは何かとたずねると、家に戻ってから庭に植えるのだという。ソロンでは手に入らないから、わざわざジャヤプラで買って乗り込んだそうだ。苗のほかにも観光客用の弓矢(ワメナ周辺のダニ族が使用する)なんかも買っていて、インドネシア人でもこのような土産物を買うんだなと、ある意味感心した。なんだかんだ話してその後彼女達と写真を撮った。
 それから自分のキャビンに戻り銀マットの上に横になった。早朝3時頃に次の寄港地マノクワリに到着した。ここで降りる乗客も結構いたので、ようやくマットレスを確保できた。銀マットの後だとマットレスの快適さがとても有難く感じた。

 インドネシアのフェリーは食事つきで(チケットの価格に含まれている)、1等からエコノミークラスまでそれぞれ等級別の食事が提供される。ちなみにエコノミークラスの場合は、ライスとオカズ1品くらいの全く質素な食事だ。以前、ジャヤプラの宿で一緒だったドイツ人旅行者から、エコノミークラスのチケットでも頼めば1等の食堂でもタダで食べられたよ、という話を聞いていたので早速試してみた。
 1等の食堂入り口にはスタッフがいてチケットを確認していた。私が、エコノミークラスだけれども1等の食堂で食べたいのだと告げると、最初は断られたものの別にお金を払うならばということでOKしてくれた。うーん、あのドイツ人の話と違うではないかと思ったが、10,000ルピー(140円位)でまともな食事が出来るのでまあ良いかと納得した。でも、この10,000ルピー、きっと食堂のスタッフのポケットにしまわれてしまうんだろうな。やはり、このようなことはあまりすべきではないな、と少し反省しながら食事をしたのだった。

 翌日はエコノミーキャビンでマットレスに横になり、昼頃までゴロゴロしていた。それからデッキに上がってみると左手にニューギニア島がずっと続いている。しばらく眺めていても人が住んでいるような場所は見当たらず森ばかりのようだ。デッキの上には日本人旅行者らしき若者がいたので声をかけると、韓国人だった。話してみると、彼はニューギニア島内陸のワメナで8ヶ月ほどボランティア活動をしていたということだった。これからバリに寄って、その後帰国するらしい。ワメナで長期間のボランティアとは、少し羨ましくもあり、また韓国人青年の行動力にも感心した。彼とは、英語とインドネシア語のミックスで会話したけども、通りかかったインドネシア人は変なインドネシア語を話す妙なアジア人だな、と思っていたのかもしれない。
 それから、カフェテリアに入りコーヒー(*3)を飲みながら日記を書いたりして時間をつぶした。目的地ソロンには午後5時半頃にようやく到着した。今回は以前と比較し、案外快適だったような気がする。まあ、前回は10年位前のことだから、フェリー自体の設備もサービスも向上したのかもしれない。あるいは、私が乗ったドボンソロ号がたまたま良かったという可能性も十分考えられるが・・・。次を読む

*1 チケットは1等、2等、3等、エコノミーの4種類。
*2 一応、細いマット1枚分が一人分スペース。幅にして約70cmくらいだったろうか。以前はこのマットレスは有料で借りるのに2000ルピー位(当時の為替で約1ドル)だった。
*3 インドネシア語でコーヒーは「コピ」という。なんかちょっと間の抜けた感じがしないでもない。砂糖やミルク(コンデンスミルクだが)を入れることにより値段が少しずつ違う。ついでに、インドネシア語で電話のことをテレポンというが、これは音的に結構、間が抜けているなあと思う。


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